シェフであり続ける、、ということ

元ナースがシドニーでシェフの勉強中。きっかけはいつもテキトー、でも中途半端は大キライ。どうせやるなら・・!

オーストラリアワインの歴史。。歴史は長いのでまずは「その1」

現在の料理長が辞めることとなり、結構もうすぐなので、、

引継ぎが忙しく、、、

 

デザートは誰がやるか、、って話になって・・

Me!? ですか???

ムリムリムリムリムリ!!!

なんて主張は誰にも届きません。

 

というわけで、

シェフパティシエになります!

 

そして肉の火入れの練習

まかないご飯で肉(サーロイン)をオーダーして頂いて、自分一人で火入れ!!

出来ました!!とまずは料理長がチェック。

なんと結構上手くいっちゃって、みんなビックリ・・私もビックリ・・!!

 

実はこの日のために、私は上司3人それぞれの火入れを細か~く観察して

毎回ノートテーキングしてましたから。

あれ?っと思ったら、その場で質問。それ以上は自分で調べる。

そして教えてくれた人に新しい情報を返すと、他の情報を投げかけてくれます。

Give & Takeで、相乗効果。

一人だけではなく、チーム全体で成長して行きたいという思いより。。

 

では今日は最近興味が出てきたワインについて、

いろいろと調べてみたので書き留めておこうと思う。

 

オージーはワインが大好き!

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現代では食事と一緒にワインの風景が当たり前になっています。

今日はそんなワインの歴史を紹介しまっす!!

Australian wineの歴史

1788年、アーサー・フィリップ船長が、シドニー(現在のロックスの辺り)にブラジルから葡萄の苗木を持ち込んだのがワインのはじまりだと言われています。

 

オーストラリア大陸は、米国本土とほぼ同じ面積。

全州合計2,500以上のワイナリーが存在し、全体で約16万ha、生産量は

現在ではワイン産業界で世界第4位の輸出量に到るまでに成長。

 

しかし1970年代までは正直言ってオーストラリアワインはあまり評価されていませんでした。この頃からリベンジ開始。

1990年~2004年の間で米国への輸出量が約2倍に、2000年には英国への輸出量がフランスを抜いて歴史上初の第1位へと登りつめました。

 

Australian wineの3人の重要人物

AUSのワイン生産の先覚者はブラックスランドとジョン・マッカーサ。

 

ブラックスランド

この人は1822年に奨励的な意味で英国で表彰されている歴史の重要人物。

ブルー・マウンテンズより内陸の道を発見から牧羊が始まったと言われている。

パラマタ・バレーに葡萄を植えてワインの製造を始めた。

 

ジョン・マッカーサ

オーストラリアの農業発展の基礎を築いた歴史上有名な人。

2年間フランスとスイスを旅し、武道の木の収集と栽培スキルを勉強。

1820年、シドニー南部に農場を拓き葡萄を植えた。

 

ジェームス・ハスビー

ハンター・バレーの創設者。

1801年に英国で生まれ、10代の頃に父親とともにオーストラリア移住。

フランスで数ヶ月間葡萄栽培を勉強して、帰国後にハンター・バレーの土地を譲り受け葡萄栽培を始める。

その後は義理の兄弟が経営するがワイン生産者としてはよく知られた存在。

30歳の時に再びフランス・スペインのワイナリーで栽培醸造を勉強、英国政府の要請により、葡萄の木の収集をして持ち帰ったと言われている。

 

フィロキセラ発見!!(アブラムシの一種)

1875年、ヴィクトリア州のメルボルンの近くでフィロキセラという根に寄生する虫が発見される・・が、防除する手段なく葡萄の木ごと引っこ抜くしかありませんでした。

この頃実は、州政府のサポートもあってワイン産業に力を入れていて、発展途中でした。この寄生虫被害は広まってしまい、ワイン産業にダメージを与えました。

 

そして1901年にはオーストラリア連邦が設立され、

当時は有望とみられたヴィクトリア州のワイン産業は一時停滞となり、

更には南オーストラリア州のワインが主流となって皆ビックリ!!

 

これがオーストラリアワインの大雑把ではあるけど、歴史です。

歴史とは基本話が長いので、ここに全てを一度では託せません。

なので続きはまた、、

 

明日は晴れるかな~

晴れた日の朝焼けがスキなんだけどな~

最近曇って見えないんだけどな~~

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